SMのはじまりから現代のSMまで
SMの発祥は、18世紀、フランスを中心としたヨーロッパと言われています。
しかし、発祥当時は「SMパートナーとのSMプレイ」に結びつくような内容ではありませんでした。フランス貴族の社交界では、当時「舞踏会」が流行しておりましたが、舞踏会が下火になった頃、貴族階級の富裕層が催した「サロン」なるお茶会を苗床にして発祥した文化のようです。
サロンとは、貴族の中でも特に高い教養をもった、思想家、芸術家、哲学者などを屋敷に呼び、比較的柔らかい会話の中で芸術や思想、哲学を語り合うお茶会でした。三権分立を提唱したことで有名な、あのモンテスキューもサロンに出入りしていたといいます。
フランス紙幣のモンテスキュー
そして、サロンが流行するに従い、より特別な思想や趣向の同志のみを集めたサロンが開かれるようになります。現代で例えると、テーブルゲーム愛好会に集まる人が増えたので、チェス会やトランプ会、囲碁会や将棋会に分かれたという感じでしょうか。
しかし、当然ながら声高に主張できない思想や趣向の貴族もいます。「リベルタン」と呼ばれる「信仰や宗教的戒律に従うことを拒否して自由に振舞う精神」を持った貴族達です。「無信仰家」とも言えるので、現代の日本人に近いかもしれません。
当時からキリスト教カトリック派(ローマ教皇が最高指導者の世界最大教派)は下記のように唱えています。
「ひとつひとつの夫婦行為は、それ自体、命の誕生に向けられていなければならない」
もちろん貞潔な人間であることを義務付けており、夫婦間以外の性行為や、夫婦間であっても情欲に身を任せた性行為を不貞としました。
そのような教義が力を持てば持つほど、反発する思想が生まれるのは今も昔も同じであり、教義から、より逸脱した行為に快楽を見出す人間が現れるのも、自然な事だったのかもしれません。
ついにリベルタンは同志を集め、ひっそりと秘密のサロンを開催しました。SMサロンのはじまりです。ここで初めてSMが歴史の表舞台に出てきました。
SM愛好家の方なら理解できるかと思いますが、SMサロンは好色貴族(現代で言うと変態紳士、淑女でしょうか)が、秘密参加する、知的ながら非社会的な社交場で、SMは知的でありながら刺激的な、禁断の遊びでした。
SMのS(サド)の語源になった、マルキ・ド・サドや、SMのM(マゾ)の語源になったザッヘル・マゾッホは、このSMサロンで磨かれた「サディズム」「マゾヒズム」の精神や思想を昇華させ、SM小説に反映させた事が予想できます。
その思想はドビュッシーの音楽のように、現代までほぼそのまま語り継がれています。これはクラシック音楽同様、SMが完成された思想である事を断定し、これからも変わらない事はSMを理解したすべてのSM愛好家が容易に予言できることでしょう。